四代目のページ
四代目の想い
四代目の生い立ち
工務店の家に長男として生まれ、木工機械の騒音を子守歌代わりに、遊び場は木の香りのする作業場で木の端材や本物の大工道具。大工仕事に興味が湧かないわけがない特異な環境で育ちました。小さいころから祖父や父、他の大工さんの仕事を見ながら、おもしろそう!カッコいい!将来は大工さんになりたい!と純粋に夢を抱きながら、自分は後継ぎなんだ!ということをどこかで意識していた部分もありました。
中学で進路を決める際、大工仕事以外の事にも興味はあったのですが、幼少の頃の夢の方が勝り、また自分で設計したものがかたちになって残る!というスケール感にも惚れ、後継ぎになる覚悟をもって建築学科のある高校へと進学しました。在学中は一生懸命勉強したわけではないですが(笑)現在も当時使用していた教科書をデスクの隅に置き、基本に立ち返ることもあります。
工務店の家に長男として生まれ、木工機械の騒音を子守歌代わりに、遊び場は木の香りのする作業場で木の端材や本物の大工道具。大工仕事に興味が湧かないわけがない特異な環境で育ちました。小さいころから祖父や父、他の大工さんの仕事を見ながら、おもしろそう!カッコいい!将来は大工さんになりたい!と純粋に夢を抱きながら、自分は後継ぎなんだ!ということをどこかで意識していた部分もありました。
中学で進路を決める際、大工仕事以外の事にも興味はあったのですが、幼少の頃の夢の方が勝り、また自分で設計したものがかたちになって残る!というスケール感にも惚れ、後継ぎになる覚悟をもって建築学科のある高校へと進学しました。在学中は一生懸命勉強したわけではないですが(笑)現在も当時使用していた教科書をデスクの隅に置き、基本に立ち返ることもあります。
初めての現場
私が仕事をはじめたころは、まだ祖父(二代目)も現役の大工でしたので、祖父が引退するまでの間親子三代で仕事をしていた時期もありました。見習い期間の父と祖父の教えは、見習いとは見て習うもの、だから教えを乞うのではなくとにかく人の仕事を見て覚える!というものでした。職人の厳しさを肌で感じた時期でもありましたが、家を造る楽しさが何よりも勝っていました。一般に工務店の後継ぎは大工仕事をする職人になるか、仕事を確保したり段取りをする営業マンのようになるかのいずれかの選択に迫られるかと思います。私的には大工志望なのですが、これからは設計や営業もできなきゃ生き残れない!という父の考えもあり、大工仕事をしながら次第に設計製図もするようになりました。
私が仕事をはじめたころは、まだ祖父(二代目)も現役の大工でしたので、祖父が引退するまでの間親子三代で仕事をしていた時期もありました。見習い期間の父と祖父の教えは、見習いとは見て習うもの、だから教えを乞うのではなくとにかく人の仕事を見て覚える!というものでした。職人の厳しさを肌で感じた時期でもありましたが、家を造る楽しさが何よりも勝っていました。一般に工務店の後継ぎは大工仕事をする職人になるか、仕事を確保したり段取りをする営業マンのようになるかのいずれかの選択に迫られるかと思います。私的には大工志望なのですが、これからは設計や営業もできなきゃ生き残れない!という父の考えもあり、大工仕事をしながら次第に設計製図もするようになりました。
外からは見えない壁の中の重要性
弊社は平成に入って間もなくの頃から「将来は冬暖かい家、夏は涼しい家」があたりまえの時代になるという社長の考えで、早くから今で云う高気密・高断熱住宅に力を入れていました。当時はまだ高気密や高断熱という単語すら無く、建築業界内でも住宅の気密化や高い断熱性の必要性に関心が薄かったりと、従来の建物との違いを訴えるのに苦慮していたそうです。ですが、そのような機転の利いた社長のお陰で、私はこの業界に入った当初から「見えない壁の中こそ重要だ」というように気密や断熱の重要性を特に仕込まれてきました。
弊社は平成に入って間もなくの頃から「将来は冬暖かい家、夏は涼しい家」があたりまえの時代になるという社長の考えで、早くから今で云う高気密・高断熱住宅に力を入れていました。当時はまだ高気密や高断熱という単語すら無く、建築業界内でも住宅の気密化や高い断熱性の必要性に関心が薄かったりと、従来の建物との違いを訴えるのに苦慮していたそうです。ですが、そのような機転の利いた社長のお陰で、私はこの業界に入った当初から「見えない壁の中こそ重要だ」というように気密や断熱の重要性を特に仕込まれてきました。
工法やスペックを意識した時期
次世代省エネ基準(平成11年基準)に改正されて間もなく、時代はインターネット情報化社会真っ只中、そしてオール電化住宅の人気も後押しし、高気密・高断熱住宅は急速に普及していきます。この頃になると○○工法や数値がいくつなど建物スペックによる比較なども盛んに行われるようになってきます。省エネの意識が高まる中、様々な工法や手法が開発されるのは当然の運びですし、関心が高い故に様々な反響があるのも必然の流れであったように思います。弊社としてもより合理的な工法や新しい高効率機器に取り組んだ時期でもありました。温熱環境も設計できる時代となり、熱損失など数値的な根拠を用いながらますます住環境に優れる家づくりを手掛けていきます。
次世代省エネ基準(平成11年基準)に改正されて間もなく、時代はインターネット情報化社会真っ只中、そしてオール電化住宅の人気も後押しし、高気密・高断熱住宅は急速に普及していきます。この頃になると○○工法や数値がいくつなど建物スペックによる比較なども盛んに行われるようになってきます。省エネの意識が高まる中、様々な工法や手法が開発されるのは当然の運びですし、関心が高い故に様々な反響があるのも必然の流れであったように思います。弊社としてもより合理的な工法や新しい高効率機器に取り組んだ時期でもありました。温熱環境も設計できる時代となり、熱損失など数値的な根拠を用いながらますます住環境に優れる家づくりを手掛けていきます。
住み心地のよい快適な家とは
省エネ意識の高まりとともに、省エネ住宅は快適でいい家というイメージが印象付けられてしまったように思います。確かに断熱性能を上げれば暖冷房負荷は低減できますが、山形のように盆地で高温多湿な気候の地域の場合、夏に冷房無しで暮らすのは容易ではありません。窓から自然の涼を得るとはいうものの、盆地の山形では窓を開けても湿った空気しか入ってこないことも多く余計不快な思いをすることもあり、快適な暮らしとまでは言い難い住まいになってしまいます。このように、快適性とは実は数値などでは簡単に表わせないもので、燃費の優秀な家=住み心地のいい快適な家では必ずしもないという事です。
省エネ意識の高まりとともに、省エネ住宅は快適でいい家というイメージが印象付けられてしまったように思います。確かに断熱性能を上げれば暖冷房負荷は低減できますが、山形のように盆地で高温多湿な気候の地域の場合、夏に冷房無しで暮らすのは容易ではありません。窓から自然の涼を得るとはいうものの、盆地の山形では窓を開けても湿った空気しか入ってこないことも多く余計不快な思いをすることもあり、快適な暮らしとまでは言い難い住まいになってしまいます。このように、快適性とは実は数値などでは簡単に表わせないもので、燃費の優秀な家=住み心地のいい快適な家では必ずしもないという事です。
快適な家とは、使い勝手の良い間取りや不自由のない収納で豊かな生活を営める住宅であり、且つ季節(外気)に左右されない住宅であると考えます。四季のある日本で快適に暮らすには最小限の暖冷房を使用した方がより確実です。例えば公共施設や車や電車などの移動手段などで空調を整えていないものは一つもありません。意図して調整しないと快適な温熱環境は手に入らないとも言えます。
無暖房で生活する!窓を開けて涼を得る!という考え方は一見すると自然な生活で理想的な生活にも思われますが、自然は思った以上に過酷でとても気分屋なものです。
20年以上、高断熱・高気密住宅を手掛けてきたことで、中村建築の家づくりの方向性も定まりました。それは、「高い断熱性と高精度な気密性を確保した住宅で、暖冷房負荷が小さく極力エネルギーに頼らなくても住まえる住宅、そして、僅かなエネルギーでより快適な住み心地になる家づくり」に他なりません。
無暖房で生活する!窓を開けて涼を得る!という考え方は一見すると自然な生活で理想的な生活にも思われますが、自然は思った以上に過酷でとても気分屋なものです。
20年以上、高断熱・高気密住宅を手掛けてきたことで、中村建築の家づくりの方向性も定まりました。それは、「高い断熱性と高精度な気密性を確保した住宅で、暖冷房負荷が小さく極力エネルギーに頼らなくても住まえる住宅、そして、僅かなエネルギーでより快適な住み心地になる家づくり」に他なりません。
じっくりの姿勢
昨今では大工仕事をすることも少なくなり、設計監理や営業マンとしてお客様と現場との橋渡し的な位置にいることが多くなってきました。そんな私の家づくりの進め方は独自のものです。大手の会社であれば営業マニュアルや先輩社員からの指示指導などがあるのでしょうが、小さな工務店である弊社では専門の営業マン等はいません。それどころか、父も含め大工職人は本来口下手で、営業トークなどできるはずもありません(笑)そんな環境ですから、営業方法など家づくりの進め方は我流になっています。
昨今では大工仕事をすることも少なくなり、設計監理や営業マンとしてお客様と現場との橋渡し的な位置にいることが多くなってきました。そんな私の家づくりの進め方は独自のものです。大手の会社であれば営業マニュアルや先輩社員からの指示指導などがあるのでしょうが、小さな工務店である弊社では専門の営業マン等はいません。それどころか、父も含め大工職人は本来口下手で、営業トークなどできるはずもありません(笑)そんな環境ですから、営業方法など家づくりの進め方は我流になっています。
そんな悪戦苦闘する中で気づいたこと、それはじっくりお客様と向き合えば、必ずお客様と造り手双方に良い結果がついてくるということです。
家づくりは大掛かりな作業となり、密な打ち合わせが欠かせません。お客様は十人十色で、テンポよくプランが進む場合もあれば、なかなか決定に踏み切れないという場合もあります。家づくりへの拘りや想いも様々で、短時間で全てを吸い上げるのは容易ではありません。ですから多くの時間を費やしてでもじっくり想いに応える事をなによりも大切にしています。特に家づくりの方向性を決める初期プランニングは一番の要です。初期プラン変更は何度でも無償で行っています。
今後の中村建築と自分
思えば弊社の手掛ける家と共に自分も成長してきた様な気がします。
初代大工の曾祖父。二代目の祖父の代で工務店を営み。三代目の父の代で会社設立となりました。四代目である私の使命は会社を大きくすることでもなく、売り上げを大きく伸ばすことでもなく、より皆様に愛される家づくりを安定的にしていくことだと考えます。そのためにも小規模ながらも小回りの効く工務店スタイルに誇りとこだわりを持ち、今後も精進していきたいと思います。
思えば弊社の手掛ける家と共に自分も成長してきた様な気がします。
初代大工の曾祖父。二代目の祖父の代で工務店を営み。三代目の父の代で会社設立となりました。四代目である私の使命は会社を大きくすることでもなく、売り上げを大きく伸ばすことでもなく、より皆様に愛される家づくりを安定的にしていくことだと考えます。そのためにも小規模ながらも小回りの効く工務店スタイルに誇りとこだわりを持ち、今後も精進していきたいと思います。
有限会社 中村建築
代表取締役 中村直樹